第10回 harappa lecture
『見たいもの 見えないもの −幽霊画と仏画− 』
講師 須藤弘敏 [ 弘前大学教授 ]
日時  2005/1/21 金曜日 19時から
場所  space harappa
入場料  ¥500(1drink付)
 2005年のharappa lectureの幕開けは、弘前大学教授で仏教美術史研究者の須藤弘敏先生に「見たいもの、見えないもの−幽霊画と仏画−」と題してお話しいただきます。

 弘前市にある久渡寺には、円山応挙の作とされる幽霊画があります。津軽ではこの久渡寺の幽霊画は大変有名です。でもどうして幽霊はきれいな女性として描かれるのでしょうか?見えないものを見せてくれる装置としての絵画。人はいろいろなものを、思いをこめて絵に描いてきました。人はなぜ見えないものを見たがるのでしょう?そんな素朴で根源的な疑問についてのお話しを伺います。


当日の様子

「見えるもの 見えないもの―幽霊画と仏画―」と題して弘前大学教授・仏教美術史研究者 須藤弘敏先生にお話しいただきました。


 美しく吸い込まれそうな女幽霊や荘厳で華やかな来迎図など作品のスライドを見せたいただきながら、深い研究に基づいたお話を伺いました。その絵が描かれた時代の雰囲気が伝わってくる大変興味深いお話しでした。

 前半は、弘前市久渡寺にある円山応挙作とされている幽霊画「反魂香之図」とその作品と極めてよく似たアメリカのバークレー大学美術館に寄託されている「お雪の亡霊図」を比較検証しながら、18世紀に育った幽霊文化、幽霊画の特徴、幽霊画の典型となった応挙作品、その後の幽霊画の変遷について語ってくださいました。実際の作品ではなかなか近づけない幽霊の目の部分や髪の生え際などにクローズアップしたスライドを見せていただき、改めて絵師の画力を強く感じました。江戸時代中期、京都で活躍した絵師応挙は真なるものを写しとること、目に見えるものをそのまま描くという「写生」の祖と呼ばれていましたが、その応挙が描いた幻想的な幽霊画は、目に見えないものを見えるものとして顕現化させたパラドキシカルなものです。須藤先生はそこに応挙の幽霊画という希少性の高いものを所有したいというパトロン達の力が働いていたのではないかと推論なさっています。

 後半は、阿弥陀如来が菩薩を従えて死者を迎えにくるという来迎図についてでした。当時、阿弥陀如来の姿を夢にみることができれば往生できると考えられていたそうです。そうなれば、その姿を誰でも見たくなりますが、現実にそのような幻想を見るのはなかなか難しいことです。ゆえに、日ごろから来迎図を見ておき如来の姿を夢に見る訓練のためという明確な役割を持って来迎図は描かれ続けたそうです。ある意味で人間的な幽霊画とは異なり、来迎図の如来は大変荘厳な面持ちで見るものへと迫ってくるように、または画中の人物へと近づいていくという動作を伴って描かれていました。見えないもの(非現実の存在)を見る(現実世界に呼び出す)ためのツールとして存在した幽霊画と来迎図。どちらもその当時の人々が、現実には見られないものを見たいという要求の表れであったようです。

 人は目に見えない説明不可能な現象を見える形に表し解釈することで、心の平安を図ろうとしてきたのかもしれません。見る者にまさに「そこにある」という存在感をいかに与えるかという仕掛けが様々にちりばめられた絵画には、「見たい」「見せたい」という切実な想いが込められていたことを今回のお話しから考えさせられました。

若井秀美(学芸員)
NPO harappa lecture担当


back