COLUMN
山田スイッチの『言い得て妙。』


vol.15-2006.10.06

ninko ouzouさんのこと

 我々は日々、つらく悲しい出来事を忘れるために、感性を鈍磨させて生きている。

 そうでなければ、あまりにつらい出来事に精神は浸食され、感情は日常性を失い普通に生活してはいけなくなるからだ。ようするには、うまいことごまかしていけるようになっている。光と、闇と。その両方が激しく閃光を放ち、闇の部分は真の漆黒。血の色はどこまでも赤く。そんな風には、なかなか生きられない。だから、返ってそのように生きてる人を見ると、羨ましく思えてしまう。

 ninko ouzouさんが描いた「誕生」という絵は、まさしく。ぐじゃぐじゃの赤い闇からわけもわからず、ただひたすらに「産まれたい」という意志を持って産まれた絵に他ならない。見た瞬間、「ウワッ」と思う。

 このどうにもならない感情の行き先を。逃げず、絵にすることで、鮮烈な思いは彼女の作品の最も彼女自身に近いモチーフの「娘」としてキャンバスの上に産まれる。「娘」に対照的な存在として、「小僧」はどこかから沸き上がる存在のようにキャンバスに産み落とされる。小僧には表情がない。無表情だ。なのに、私には小僧はいつもへっちゃらな顔や、寂しそうな顔をして見える。それは、見ている私自身が寂しくて、へっちゃらな顔をしているせいなのかもしれない。

 たくさん感じて、生きて死ぬ。ただそれだけのことを、できないのが人間だ。目覚めと共に毎日産まれ、毎日死ぬように。今日一日を生き切ることは何よりも難しい。不幸を感じたくないから幸福のためだけに生きる本が売れる。だけども、何もかもを受け止めてしまったなら…。きっとそこには新しいステージが用意されているように思えるのだ。

vol.14-2006.9.13

青森県の楽しみ方

 青森県に住んでいる人は、何故自分が青森で暮らすかという意味を別段考えずに青森で暮らしているけれど。青森っていうのは多少見方を変えると、パワースポットの集まりに見える。 まず、到るところに縄文遺跡。三内丸山遺跡は近代的な入り口こそダサいが、中に入ると縄文の空気に満ちた素晴らしい場所である。
意外と知られていないが、青森空港の近くには縄文人が川原から石を運んで造った巨大な環状列石(ストーンサークル)がある。小牧野遺跡はあけっぴろげの遺跡であって、そこはぽっかりとした気持ちのいい空気に満ちている。

 浪岡の十和田霊泉には「気」が満ちていて、そこのお水は「神様の水」と呼ばれるほど旨い。「気」って何だ?と思うのだが、どうしても感じてしまう気持ちのいい空気や、恐れ多い空気。静謐な空気は感じてしまうのだからしようがない。

 尾上町の猿賀神社もまた、素晴らしい気に満ちている。そしてお盆近くになると猿賀神社は蓮の花が満開に咲き乱れ、その見渡す限りの蓮池の、光のような緑に咲くピンクの花、紅い橋は浮島の鳥居へと続く。その池を大きく取り囲んで奥にそびえる神社を思うと、この場所に施された壮大なデザインに震えが走る。極楽になんか行かなくても、ここにその景色があるのだから。

 今夏は青森県の到るところで舞踏家・雪雄子さんの東北野辺行脚が繰り広げられた。土方巽演出の「鷹ざしき」で踊ったという彼女は、寒さを求めてこの地に呼ばれ、以来十年暮らしている。舞踏の音楽に使われたロシア語の朗読、ブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」、激しさを増すアブラゼミの哄笑、訪れる夏の残照……ジャニス・ジョップリンの「サマータイム」……、過去と現在を行き来して。どうにも哀しく世界と交わる瞬間が舞踏の中、何度も訪れる。彼女の踊りを見ていると胸の奥から苦しいほどの何かが溢れてくる。

 身体の中で何かが死んで、産道を通り、また一度生まれる。このような感覚をもたらしてくれるのは、芸術以外に他ならないと思う。

 青森はまだまだ、奥深い。

vol.13-2006.4.9

39アート in 弘前

 3月9日、全国的なアートのイベントが開かれる39(サンキュー)アートの日、『AtoZ』展開催の地・吉井酒造煉瓦倉庫では奈良美智と、graf(食や家具、生活に根付いた創造を繰り広げるクリエイター集団)の、生の制作現場が見られるという奇跡的なイベントが行われた。

三月の雪が残る冷たい倉庫の中。中に入ると、そこには呼吸の一つ一つを大切にしたくなるような、静かな空気が満ちている。その日、我々は制作をする作家本人(奈良美智さんと、grafの豊嶋さん!)に、倉庫の中を案内してもらうという幸運に預かった。ボランティアの手で開かれた2002年の展覧会から、『AtoZ』展への軌跡が描かれたドキュメント映画を見る。胸に来る音楽と映像。「開催後もその充実感で自分は満たされた」この言葉に、当時の気持ちが蘇ってしまう。あの奇妙な充実感。フィルム上映を終え、莫大な空間が拡がる『黒い部屋』へ。そこには本当に「世界中から」、奈良美智+grafが今まで制作し、各国で展示してきた作品が集まっていたのだ。

行きたくていけなかった、韓国のソウルハウス!『Fiction Love』展のタイペイ・サマーハウス!横浜美術館にホノルル現代美術館!大阪home展!横浜トリエンナーレ!KATHY+grafの、炎のメリーゴーラウンド!一瞬だけ、全ての作品が立ち並ぶ街が錯覚で見えた。

本当に世界中からこの吉井酒造煉瓦倉庫に集まっていたのだ。今年の夏、全ての秘密が解き明かされる。倉庫の巨大な空間に、一つの街ができあがる。その街をつくりあげる手助けになりたい。夏になれば、その街角に迷い込んだ私はその世界を見上げ、懐かしい匂いを嗅ぐのだろう。夢の中で見たその街が、現れる日はあと数ヶ月先である。

vol.12-2006.2.3

巻き込まれる身体

 どうしても思い浮かんでしまうと、アーティストの人はよく言うのです。思い浮かんでしまったから、やらざるを得なくなったのだと。そういうものがアートになるか、ならないかはわからないのだけども、どうしても思い浮かんでしまった風景を現実に召還することは。恐いぐらいに感情を揺さぶるものだと、思うのです。

 体の中から、頭の中から。こぼれるようなイメージが溢れて、手が動く。この目に見えてるものを形にしたい。もっともっと、その形に近づけたい。そんな思いで、めくるめくような思いで「どうしても思い浮かんでしまったもの」は、その人の口から吐き出されるようにその人の手から、洩れ出でてしまう。思うように手が動くようになるまで、何年かかるだろうか。思うような情景を手に入れるまで、あと何十年かかるだろうか。だけど、とうとうと心に湧き出でている。早く出さないとイメージに自分が埋もれてしまう。そういうイメージを形にすることででしか、アーティストは生きていけないんじゃないかと勝手に思う。吉井酒造煉瓦倉庫で開かれる今年の奈良美智+graf AtoZ展。身体の中からほとばしるイメージを着々と形に変えていく。その世界がみたい。その世界に行き着きたい。今年の夏も、あの吉井酒造の世界に、巻き込まれたいと身体は願っている。

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−山田スイッチ−
harappaサポーターズメンバー。青森県在住コラムニスト。
著書に『しあわせスイッチ』、『しあわせ道場』、『ブラジルスイッチ』がある。2005年12月新刊「トーキョー放浪記」[光文社知恵の森文庫]発売。
http://yamadaswitch.ameblo.jp/

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