吉村利美追想展「使者の記憶」

吉村利美追想展「使者の記憶」
〜川の石に聞き、土と語った40年〜

 長く青森に居を構え制作活動を行ないながらも、 2016年11月に逝去した陶芸作家・吉村利美の追想展。

 青森の自然や風景、身近な植物や生物などからインスピレーションを 得て制作された作品たちは、県外での発表が多く、県内で吉村の作品に 触れることのできる機会はほとんどありませんでした。

 一方、布地を用いて着色していくなどの吉村独自の技術から生まれ る美しいその造形は、全国の多くの人々を魅了してきました。

 本展では、初期の作品から病床に伏す直前まで制作していたものまで、 吉村利美の陶芸作品を約80点を展示し、作品の移り変わりを辿ります。

開催要項

事業名:吉村利美追想展「使者の記憶」
会 期:2018年1月19日(金)〜30日(火)
    10:30〜18:30 ※入場無料 会期中無休
会 場:スペース・デネガ/ギャラリー(青森県弘前市上瓦ケ町11-2)
主 催:吉村利美追想展実行委員会
後 援:東奥日報社、 陸奥新報社
入場無料

問合せ: harappa 0172-31-0195 e-mail. post@harappa-h.org

開催にあたって

『穴』

 彼は「使者」として訪れた。

 吉村利美が最初に世に認められた作品は「使者」と題されている(朝日陶芸展入選)。  細長い大型の蓋を伏せたようなフォルムの両側に、内面の炎に思える肌色が焼き付けられ、 それを無数の細い黒線が幾何学的に区切っている。熱風と怜悧と決意と謙虚。それらの混交が訴える。

 初期の明確なオブジェから、やがて蓋物が多くなる。 それは初めから蓋物として作られたのではないだろう。オブジェを切り裂いて、その上部が蓋になる。 
 吉村は「オブジェは息が詰まって苦しくなる。それを蓋物にすると、 楽になった」という意味合いのことを語っていたという。傷を入れることで、 息が出来る。世界と語り合うために美を持ってこの世に訪れた使者は、 自由になるために自らを切り裂かなければならなかった。

 吉村の蓋物は、蓋の部分が大きく、切った上部の蓋と、下部の胴体がそれぞれに深い穴を生む。 吉村の作り出す穴は時と共にその意味を少しずつ変えてきた。精神的に極めて苦しんでいたときの 「窓」と題されたオブジェは、細長い塔のような上部を回って窓が描かれ、その一つだけ穴があけ られている。閉じ込められていた作家は、その穴から脱出したかったのだろうか。
 蓋物が増えてから、吉村は様々な穴を探ってゆく。河原の小石の跡の小さな美しい 穴もあれば、パオのような造形の、蓋を開けたら子どもたちや歌が飛び出してきそう な楽しい穴もある。苦しく、入れそうもない穴も。

 そして吉村は、風化して石灰質になってしまったかたつむりの抜け殻を見つけ、 その穴に魅せられた。大きなオブジェとなったかたつむりは、黒い穴を大きく開 いているが、そこから手をいれても螺旋状の穴はすぐに手を拒む。中を見ようと しても見えない、底の無い穴。始原の分からない穴。それは作家の内面の奥深く に入っていく穴でもあり、どこかで宇宙に通じている穴でもあるだろう。
 使者はこの世に穴を開けて、逝ってしまった。私は今、その穴に沿って、 彼の内面に入っていきたいと、せつないほどに思う。

ー 梅津時比古(音楽評論家 / 桐朋学園大学 学長)

制作のための道具
「記憶の入れ物」蓋物

「貝」
「貝」蓋物

「かたつむり」
「かたつむり」

吉村利美略歴

<吉村利美略歴>
1949年 茨城県結城市に生まれる
1970年 弘前大学人文学部文学科中退
1977年 茨城県笠間市に移る
1980年 青森県青森市三内に移住して登窯を築窯
1993年 青森市松原に移住
2015年 青森県弘前市に移住
2016年 11月死去

出品歴
朝日陶芸展、八木一夫賞現代陶芸展、陶芸ビエンナーレ特別賞、国際陶磁器展美濃、日本陶芸展ほか

個 展
  阪急梅田(大阪)、アートサロン光玄(名古屋)、酉福(東京・南青山)、しぶや黒田陶苑(東京)、ぎゃらりー工芸舎(東京)ほか

二人展
アスクエア神田ギャラリー(東京)ほか
グループ展
器陶小林(名古屋)ほか

制作のための道具
制作のための道具(吉村の作業場にて)

会場周辺地図/スペース・デネガ「ギャラリー」


〒036-8013 青森県弘前市上瓦ケ町11-2 電話 0172-32-1794
◎ 会場の駐車場には限りがあります

◎吉村利美追想展「使者の記憶」フライヤー[pdf 6.9MB]

◎吉村利美追想展「使者の記憶」プレスリリース[pdf 630KB]

◎吉村利美追想展「使者の記憶」プレス用画像[zip 6.8MB]